Orangelogue

Nov 10

・新しいメディアがでてくるたびに、
 「そのメディアならではのことをやるべき」
 という考えが一般的になってきます。
 それも正しいんだと思うのです。
 だって、独自の「いいところ」を強調しなかったら、
 わざわざ新しいものがでてきた意味がないでしょう。
 その考えも、わかるんだけどねー‥‥。

 でもね、ちがいを強調しようとすると、
 どうしても妙な方向に向かっちゃうんです。
 若い人たちは知らないでしょうけれど、
 例えばね、カラーテレビのではじめたころは、
 ニュースとかトークとかの地味な番組には、
 画面のまん中にでっかい花が活けてありました。
 「カラーテレビならでは」を強調したわけですよね。
 「カラーですよ、カラーですからね」ってね。

 思うんですけどね、インターネットも、
 そうなんじゃないでしょうかね。
 「インターネットならでは」のことなんか、
 考えないほうがいいんじゃないか。
 テレビとどうちがうとか、雑誌とどこがちがうとか、
 考えるにしても、あとで「あ、そうだったのか」とかね、
 そういうことでいいように思うんですよ。
 
 まずメディアありき、じゃなくて、
 まず、なにがやりたいかが、なにより先でしょう。
 いまの時代「映画というのは動くんだからさ、
 もっと動かなきゃだめだよ」なんて言う人は、いない。
 どう言えばいいのかな、
 「いいところ」というか「独自性」「個性」ってのは、
 強調しないのに感じられるようなものだと思うんです。
 「溶け込んでるのに、憶えられている」なんてのが、
 たぶん、ほんとの「ならでは」の部分なんでしょうね。

・『みんなでWii Fit Plus』のページに、
 ぼくは参加してないのですが、ひとりでやってます。
 実は、毎晩30分以上、しっかりやってるんです。
 このごろは「体幹」ということを意識してます。
 いろんなスポーツ選手、細く見えても
 「体幹」が強そうなんですよねー。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
ひょいっと新しい連載とかが、はじまってますよ。

ほぼ日 今日のダーリン 11/9

Aug 24

・育児を初めて経験する
 おかあさんやら、おとうさんやらが、
 あの人やこの人からの情報の洪水にさらされて、
 ノイローゼみたいになることがあるんだそうです。
 うまくやれている人も、もちろんいるんですが、
 へたをしちゃうと、頭の痛いことになるらしい。

 ひとつの方法があるときには、
 また別の方法があるよと知らされ、
 あることをしていたら、それはちがうと言われ、
 またあることで進んでいたら、
 そんなことしたら大変なことになると教えられ、
 最後には人格にまで及ぶような
 ありがたすぎる「教え」を受けるようになる。

 そういうこと、なんだか社会全体に多くなってます。
 責任を持って子どもを育てるのは、
 誰でもないその子の両親なのですけれど、
 興味から、好奇心から、善意から、知ったかぶりから、
 口を出す人が山ほどいるんですよね。

 「わたしは、わたしの考えでやります」と、
 ほんとうの答えは、それしかないんです。
 正しかろうが、まちがっていようが、それしかない。
 しかも、それを笑顔で言えたら最高なんでしょうね。

 だけど、これ、当事者になったら、むつかしいですよー。
 いろいろ言ってくれる人には、
 善意や正義があったりすることが多いですからね。
 それに、「人の意見と茄子の花は千に一つも無駄がない」 
 というのは、おおげさにしても、
 ありがたい教えもいっぱいありますからね。
 そこに乗じて、悪意や好奇心も混じりますしね。
 ちゃんと、こういう状況での交通整理ができたなら、
 そりゃもう、大人物だと思いますよ。

 ぼくの場合はどうしているか、教えましょうか。
 「人間以外のものに、訊く」んですよね。
 神でも、空でも、犬でも、石でも、ちゃわんにでも、
 真剣に訊いて、それ以上は考えないようにするんです。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
からだにじゅうぶん気をつけて、無理をしましょうね。

ほぼ日、今日のダーリン 8/23

May 31

・バンドマンという「職業」があります。
 正式に職業欄に書くようなものではないでしょうが、
 あることはわかっています。
 その最高位に君臨するのが、
 「ローリングストーンズ」だろうと思います。
 楽曲をつくったり、それを演奏したりして生活してます。
 どういう生活をしているのか、よくは知りませんが、
 いかにも若い人にうらやまれそうな暮らしに思えます。

 ぼくも、実際には無理だと知っていましたし、
 本気でなろうともしなかったのですが、
 「バンドマンになりてぇなぁ」とは思いました。
 バンドマンという職業は、生き方でもあるわけで、
 自由で、危なっかしくて、陽気で、キツイ‥‥らしい。
 大儲けをしたり、むちゃくちゃにモテたり、
 社会の規範から逸脱したり、社会に排除されたり、
 友情やら裏切りやらを濃いめに味わったり、
 なんだかとにかく人生を面白く生きている‥‥らしい。
 
 ビートルズの疑似ドキュメンタリー映画だったり、
 ローリングストーンズのツアーを追った映画だったり、
 セックスピストルズを撮った映画だったり、
 バンドマンの「生き方」をのぞき見る機会は、
 ずいぶんいっぱいあります。
 
 バンドマンとして生きていきたいなぁと、
 本気で思った人が、
 ほんとうにバンドマンになるのかもしれません。
 「RCサクセション」というバンドは、
 バンドマンという「生き方」を
 いちばん多く歌ったバンドかもしれません。
 実際にバンドマンになってからも、
 このバンドは、バンドマンに憧れていたように思えます。
 
 ちょっとだけバンドマンになりたいと考えた、
 ぼくのようなハンパな人間は、
 「RCサクセション」を見たり聞いたりしながら、
 バンドマンという「夢の生き方」を、
 疑似体験していたんでしょうね。
 それは、60歳になっても、できることなんです。
 おかしなもんでしょう?

日曜日に、なにか日曜日らしいことをしますか?
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうっ。

ほぼ日 今日のダーリン 5/31

May 22

某月某日

海外のニュースをちらほら読んでいると新型インフルエンザの話題はもうトップニュースでなくなっているが、日本では大盛りあがりである。平和な国に生まれてよかったです。


某月某日

過剰としか思えないインフルエンザ対策を施している日本の企業を、テレビで見た。そんなにやる気があるなら、そのエネルギーはWHOのレポートを読めるくらいの英語力を身につけるのに使ったほうがいいと思う。


某月某日

なんだか知らないが高校の校長が謝罪していた。ご迷惑をおかけしたらしい。ウイルスではなく「世間」と対峙しなければならないという、日本の土人的風景が観測できました。


某月某日

このたびの新型インフルエンザの報道における唯一の収穫は、「女子生徒と濃厚接触」という言葉であろう。

きのうきょう通信 2009-05-21

May 19

・こう、なんつーか、その、
 「手間」っちゅうもんがですね、
 無限に無くなっていくような気がしてさ、
 そりゃぁ、どうなんだろうと思ってるわけです。

 よく代表例になっているのが、
 甘栗をむいちゃってる商品ですけどね。
 たしかに、甘栗をむくというのは簡単じゃないし、
 なかなかの「手間」なんですよ、知ってますとも。
 誰かがむいてくれたら食べるのになぁ、なんて、
 思う気持ちもわからないわけじゃぁないです。
 でも、それはそれとして、です。
 誰かが先にむいておいてくれた、
 つるっつるの甘栗って、おいしさも減ってないか?
 「むく」という手間も、「噛む」と同じように、
 食べるの一部分じゃないのかねー。
  
 まぁ、「手間」を売ったり買ったりするというのも、
 ビジネスだから、それはそれでいいんだけど、
 買えなかった時代のおもしろさも、減ってないか。

・あとね、電子的な通信ね。
 これ、もうまったく「手間」いらずになってますよね。
 通信といえば郵便という時代だった、
 たとえばハガキにしてもさ、まず、家になかったら、
 買いに行かなきゃ書けもしないんです。
 書くにも、漢字を忘れてないかとかね、
 一回書いたところを直したいとか、いろいろあって、
 書けてからもポストまで出しに行かなきゃならない。
 「手間」のかたまりみたいなものだったですよね。
 それが、いまは、電子メールっていうものでしょう。
 便利ですよ、ほんとに「手間」いらずです。
 思ったら、すぐタイピングして、すぐ出せる。
 
 よく、深夜に書いたラブレターは、
 翌朝に読み直せというけれど、
 あらゆるメールが、深夜のラブレターで、
 そのまま深夜に送られちゃうわけでしょう。
 「電子メールは、ひと手間かけて、カギかけて」
 もっと怖がったほうがいいと思いますよねー。
 「手間」が無くなったところに、なにかが入りこみます。

新しい週です。今日も「ほぼ日」に来てくれてありがとう。

ほぼ日 今日のダーリン 5/18

May 10
“「せめてもだよ」
とジュゼッペは息苦しそうにいった。
「やるべきことがあるわかってるうちは、手を抜かずに、そいつをやりとおさなくちゃ」”
「トリツカレ男」より

May 8
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おりえんたる
めいくあっぷ

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おりえんたる

めいくあっぷ


“・「好きこそものの上手なれ」ということばと、
 「へたの横好き」ということばが相撲を取れば、
 どちらが勝つかは知らねども、
 「好き」は、人にたくさんの得をくれると思いますね。
 
 だいたい、ほれ、「へたの横好き」の人にしても、
 それだけ楽しんでいるんだから、悪かぁないでしょう。
 「好き」でやってて上手なのも、いいですよね。
 
 その反対に、「嫌い」がもたらしてくれるのはなにか。
 あえて探せば、安全ということではないでしょうか。
 「嫌い」だから避けたということで、
 いいにつけ悪いにつけ、なにかに巻き込まれないで済む。
 あとは、なんだろう。
 あれも嫌い、これも嫌いと言いつつ生きるのも道です。
 そういう芸風の表現者も、いくらでもいますし、
 嫌いと言いながら、奥のところでにやっと笑ってるような
 愛嬌のある「嫌い」も、ないわけじゃない。
 だけど、凡人はさ、「嫌い」で行くのはつまらないよな。
 
 「嫌いじゃない」というだけで、
 どれだけ理解が深まるか。
 「好き」とまで言わなくてもいいんで、
 「嫌いじゃない」というだけで、
 ずいぶんいろんな味わいを楽しめるんだよなぁ。
 
 食べもののことで考えたら、すぐわかるでしょう。
 ネギが嫌い、という人は、
 ネギのおいしさと縁を持てないわけですよね。
 でも、「嫌いじゃない」というだけで、
 とてもおいしいネギに出合えるかもしれないでしょう。
 クラシック音楽は嫌い、という人よりも、
 クラシック音楽も嫌いじゃないという人のほうが、
 「ああ、いいもんだなぁ」と思うチャンスが多いです。
 
 なんか、ぼくが「ほぼ日」で
 ひっきりなしに提案してることって、
 「嫌いじゃない」を広げたり増やしたりすること
 なのかもしれないなぁ、とね、ふと思ったんです。
 
いらっしゃいませ、「ほぼ日」に来てくれてありがとう。”
ほぼ日 今日のダーリン 5/7

May 5
“・ドラえもんが、ほんとに近所に住んでいたら、
 どんなお願いをするんでしょうか。
 そして、その願いを、
 ドラえもんはどんなふうに解決するんでしょう。
 
 「こどもの日」だということで、
 こどもになったつもりで考えるのだけれど、
 なかなか思いつかないものです。
 藤子・F・不二雄さん、すごいもんだなぁと、
 あらためて感心してしまいます。
 「お願い」と「解決」の候補までができているなら、
 あとはそれを磨くだけです。
 たくさんのおとなたちは、さまざまな企業は、
 アイディアの枯渇をなげくばかりでなく、
 ドラえもんをおさらいしてみたらいいと思いますね。
 
・それはそうと、ちょっとマジメな話なんだけれど、
 ぼくは、ほとんどすべてのこどもの「願い」を、
 とっくの昔から、よく知っています。
 時代が変ろうが、どこの家のこどもだろうか、
 それはみんな同じです。
 おもちゃがほしいでも、おいしいものが食べたいでも、
 強くなりたいでも、うんとモテたいでもないです。
 「おとうさんとおかあさんが、仲よくいられますように」
 なのです、断言します。
 それ以外のどんな願いも、
 その願いの上に積み上げるものです。
 
 おとうさんとおかあさんが、
 それを知っていたからって、
 仲よくできるわけじゃないんですけどね。
 それでも、知っていたほうがいいとは思うんです。
 両親が、それを知っていてくれるというだけで、
 だいぶん、こどもの気持ちは救われます。
 仲のいい家族は、それだけですべてです。
 
「こどもの日」の今日も、「ほぼ日」は更新してます。
今日も訪ねてきてくれて、ありがとうございます。”
ほぼ日 今日のダーリン 5/5

Apr 30

・ゴールデンウィークを前にして、
 みんなが忙しそうに働いています。
 「あんたは、どうなんだ?」と言われそうですが、
 ぼくも、ま、それなりに気ぜわしい毎日です。
 でも、他の乗組員諸君にくらべたら、ましかなぁ。
 
 なにせ、のんびりするのは芸のうちです。
 忙しそうで、目の玉を三角にしている人のところには、
 たのしい仕事も頼みにくいですし、
 福の神も訪問しにくいと思うんですよね。
 あ、でも、貧乏神はなついてくれるかもしれません。
   
 ぼくもねー、とにかく機嫌よくいたいと思ってますが、
 苦い胃薬でも飲んだような顔していることも、
 気がつけば、多々あります。

 怖くして男を上げる稼業じゃないんだからさ、
 機嫌のいい顔してても元手もかからないんだからさ、
 笑っていようよ、俺よ。
 
・ぼくが犬のつきあいでボール投げて遊んでいるのは、
 ぼくといういい年をした男からすると、
 ものすごく簡単な、退屈なことをしているわけです。
 それは、それで事実だと思うんです。
 少しも高度ではない、教養だの知識もいらない。
 これは、赤ん坊や、ちっちゃい子どもと遊ぶのも同じで、
 いわば、じぶんの背丈以下のことをしてるんですね。
 
 ただ、このごろ、つくづく思うんです。
 この背丈以下のことを、手を抜かずに、
 ちゃんと犬やら赤ん坊がよろこぶようにやるのって、
 けっこう人間としての力量が要るんだよなぁ、ってね。
 犬や赤ん坊がよろこぶだけでなく、
 じぶん自身までよろこぶように、となると、
 これは、もっと実力がないとだめです。

 犬や、子どもと、けっしてなめることなく、
 しかもじぶんもたのしんで相手できる人って、
 ぼくは、ほんとうに尊敬できると思います。
 まだまだ遠いです、じぶん。

休日でした。今日も来てくれて、ありがとうございます~。

ほぼ日 - 今日のダーリン 4/29

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